ドイツ日記 8月23日 曇り

peanut_butter2007-09-01

朝はめざましにも気付かずに8時30分に起床。昨日の散歩とライブで疲れていたのかもしれない。朝食は例のごときたくさんのパンをハムやチーズや手作りラズベリージャムと一緒に食べた。急いでシャワーを浴びてチェックアウトした。ホテルのおばさんにありがとうと言うつもりがグーテン・ターク(こんにちは)って言ってしまってダンケ・シェーン(ありがとう)というのもとっさに思いつかづにサンキューと言ってしまった。ドイツ語はあいかわらず慣れていなくてまったく分からないのだけれど、英語で通じるから無理してドイツ語話すのをやめたほうがいいなって思った。ケルン中央駅に向かいたどり着くと時刻表を確認する。ベルリンに行く特急列車がすぐに出発するようなのでプラットフォームへと急いで、そこに止まっている列車に乗り込んだ。僕は窓際の席に座って出発を待っていると品のよさそうなおばさんが乗ってきて僕の隣に来て何かドイツ語で話しかけてきた。英語で「僕はドイツ語話せないんだ。」と言うと英語で「この荷物を上の棚にあげてほしいの。」と言った。足元を見ると大きなバックが置いてあった。それを持ち上げて棚にのせた。「ありがとう。」「どういたしまして。」列車は走り出す。窓の景色を眺めながら音楽を聴いていた。ドイツの特急列車の座席にはイヤホーン端子が付いていてイヤホーンさえ持っていれば車内のラジオが聴けるようになっていた。飛行機の座席と似ているかもしれない。流れて着た音楽はU2とかコールドプレイがなぜかボサノバ調にアレンジされてカバーされていたものだったんだけれど、普通に聴けちゃうんだけど途中でなんとなく違和感を感じて自分で持っていたCDウォークマンで昨日のライブで買ったHERMAN DUNEのCDを聴いていた。お昼をまわる頃、荷物を棚にのせてあげたお礼なのか、おばさんがりんごをくれた。あいかわらず朝にいっぱい食べてしまうのでそんなにお腹がすいてなかったから、お昼はりんご程度でちょうどいいなあって思って水を飲みながらりんごを皮のまんまでかじりついた。少し小ぶりで酸っぱいりんごだった。列車には4時間30分くらい乗っていた。いよいよベルリン中央駅に到着した。おばさんの荷物を棚から下ろしてあげて、僕はプラットホームに降り立った。びっくりして少し動揺した。何故かって、ベルリン中央駅は今まで行ったことのあるどの駅よりも大きく感じたからだ。ベルリンはヨーロッパ中でも大都市の部類に入るのかもしれない。
  
さてさて、どうしよう、とにかくお金がいるかもしれないなって駅にいた警察官に銀行は駅の中にある?って聞いて場所を教えてもらい日本円をユーロに換金した。そして駅を出て、ベルリンの象徴でもあるブランデンブルク門はわりと近くにありそうだからそこのインフォメーションでいろいろ聞いてみようと歩き出した。ブランデンブルグ門ではロックライブ会場のようなセッティングを撤去しているところでもしかしたらロックライブのイベントがあったのかもしれない。そのステージの逆側ではパラリンピックのイベントが行われて仮設のスポーツコートがあったり自転車の車輪を打楽器のように叩きリズムを奏でるパフォーマンスをしていて人がたくさんでとてもにぎやかだった。インフォメーションに行って地図をもらったり安いホテルを聞いたり交通手段などを聞いたりした。ホテルは何よりも日本への帰りの飛行機が朝早めだったから空港に行きやすいところってお願いした。共同でもいいのかいって聞かれたのでこだわんないって言ったら1日わずか9ユーロのところを紹介してくれた。まあどんな場所かは想像ついたけれど、僕はやっぱりあんまりこだわんないからそこに決めた。バスのチケットを買ってインフォメーションで言われたとおりのバスに乗って動物園の近くの広場って言う名前っぽい駅まで行った。そのすぐ近くにホテルというかやっぱりホステルがあってそこに泊まることになった。9ユーロで1室に2段ベッドが4基つまり8人が寝れるようになっている。僕はその部屋に行って自分のベッドを確保すると、これからベルリンの街をどう見て歩こうかインフォメーションの地図にガイドブックに載っているポイントをチェックしていった。これから今日はまずベルリン大聖堂とその近くにある博物館や美術館のまとまった博物館島に行こうと決めた。運のよいことに木曜日で木曜日は夜の10時まで博物館は夜は無料で入れるってガイドブックに書いてあったのだ。
  

ベルリン市内を走る電車に乗ってツォー駅からハッケッシャー・マルクト駅まで行ってベルリン大聖堂へと歩いていった。シュプレー川に挟まれた島のようになっている場所にベルリン大聖堂はあった。ケルン大聖堂も大きいけれどベルリン大聖堂も結構大きい。ベルリン大聖堂の中に入って階段を上のほうへと上がって行き一番上の屋外の回廊をぐるっと廻ってベルリンの街を見渡した。曇り空だけれど少し晴れ間も見え隠れしていてちょっと気持ちよかった。ケルンは少し肌寒かったけれどベルリンは夏って感じの気候だった。階段を下りて教会の中に入ってみるとキンキラな感じの金が基調となった装飾や細かく書かれた絵などが一面にあって、個人的にはそんなに惹かれないタイプの教会だけれど、細かく作りこまれているのは素直にすごいと思って感心しながら上下、まえうしろ、右左ぐるって見渡した。
  
ベルリン大聖堂を出ると外では合唱団によるコンサートが行われていて、僕もその広場に座ってその歌を聴いた。空を見上げると曇り空に少しだけ青空が見えて、小さな鳥たちが空に小さな黒い点々を描いて飛んでいった。最初は少しだったのがそのうち気持ち悪いくらい黒い点々で空が埋め尽くされて、うわっって気色悪いとも思わせる風景だった。それでものんびりと合唱団によるうたを聴いているのは悪くなかった。そしてすぐ近くにある旧博物館、旧ナショナルギャラリー、ベルモガン博物館、ボーデ美術館を2時間30分くらいで急ぎ足ですべて見て廻った。もちろん入場料は全て無料。とにかくたくさんの絵や彫刻や宝石などが置かれた場所を歩き回った。写実的な絵や彫刻はすごいなあって圧倒されるんだけれど、僕が気になって見てしまうのはもっと抽象的な絵だったりコラージュしたデザインだったりするのでした。

ホステルのあるツォー駅に帰ろうとしたのだけれど、なんだか電車の路線とかよく分からなくなって行ったり来たり電車に乗っても目的の駅にはたどり着かなかった。ドイツ語が分からないから本当のところはどうか分からないけれど、なんとなく電車は何らかのトラブルで目的の駅まで行く電車はしばらく運転されていなかったのかもしれない。ホームでパンを売っているお兄さんに、「ツォー駅行きたいんだけどさっきから同じ駅を往復してばかりの電車でちっともたどり着けないんだ。どの電車乗ったらいいんだろう。」って言うと「そこで待っていろよ、その電車が来たら教えてやるから。心配そうに地図ばかり見てるなよ。」と言われた。すっかり夜の11時を廻ってしまっていて、本当はちゃんとしたレストランに行きたいなあと思っていたけれどお腹がすいてしょうがなかったからそのパン屋のお兄さんからドイツの有名なプレッツェルとかクロワッサンのサンドイッチなんかとりんごジュースを買ってそれを夕食にすることになった。やっぱりなんだか電車の運転状況はおかしくて一度お兄さんに言われた電車に乗ってもまた同じ駅に戻る結果になって、「どうしてまた戻ってきちゃったんだい。」「だってまた電車が途中で止まって引き返してくるんだもん。」「じゃあここでまたもうちょっと待っていろよ。」なんてことになった。それでもしばらくたってやって来た電車に「この電車は大丈夫だよ。」って言われて乗っていくとやっと目的の駅にたどり着いた。ホステルに着いたのはもう夜の12時近くなってしまった。いったん部屋のベッドに行ってからホステルのロビーにあるテーブルの空いているところに座って両親とか知り合いに絵葉書を書こうと思った。ビールを飲もうとしてビールを買ってちょっとづつ飲みながら絵葉書を書いていると僕の座っているテーブルに赤いTシャツにジーパンにコンバースのハイカットを履いたかわいい女の子がパソコンとビールを持ってやってきてここ座ってもいいっていうんでいいよって答えた。それで少し話をした。ロシアの出身のアナスタシアという女の子だ。パリにしばらくいて明日アムステルダムに行って9月にはロシアへ戻るって言っていた。妹が日本に住んでいるとも言っていた。僕は、アメリカのロッバンドでLUNAの歌に君の名前があった気がするよって言うと、知っているよ、でも歌とはちょっと違うのよって言われた。(日本に帰ってきてからLUNAのCDを見て見ると歌のタイトルは"anesthesia"で日本でのタイトルは「無感覚症」だった。アナスタシアは英語でAnastaciaなのだ。)なんだかドキドキしながらいろいろ話をしていたけれど、それぞれ僕は絵葉書を書くこと、アナスタシアはパソコンへと戻っていった。僕はビールを2本目を飲み始めて最後に自分宛の絵葉書を書くことにした。杉浦さやかさんとすげさわかよさんの展覧会を見に行ったときふたりとも旅行した際に自分宛の絵葉書を送っているのを見て、ああ、こういうのっていいかもって思ったのだ。だからそのまねをすることにしたのだ。アナスタシアはもう眠くなっちゃった、おやすみといって部屋に戻っていった。もうちょっと話したかったなあって思いながら僕も深夜2時を迎える前には絵葉書を書き終えて部屋に行ってベッドに潜り込んだ。おやすみ。

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