流れる

日が変わってしまうような時間になってしまったが、ずいぶんお腹を減らして家に帰って来たけれど前の日におみやげで持たせてくれた手打ち蕎麦や野菜があるので、丸ごとのきゅうりを齧ったりしながら、茹でた蕎麦を食べたりした。おいしいと思った。でも、やっぱりその場所で食べた感じとはちょっと違うのかもしれないな。それでも例えば顔が見えてくるようなことが感じられるのは、そういう感じのほうがいいな。何でもそんなふうにね、ふとひとりきりでいるとしても何かの延長みたいに思えるのがよいと思う。音楽を家でたくさん聴いていても、歌だって生のそのままで聴きたいってやっぱり思うもんなあ。