わかってもらえるさ

春になってちょっとだけ忙しいふりばかりをしているのですが、仕事で連日終電くらいになって乗換駅の人の多さや騒がしさにまたうんざりしたりしてる中で、ある日の帰りの電車ではおそらく大学生の男女がきっとサークルとかの新入生勧誘会かなんかの帰りみたいであの子はどうこうで脈がありそうだとかなんとか分析して大きな声で話している会話と姿を嫌でも耳にして目にして逃げだしたくなるような違和感を感じてしまったのは歳をとったということではなくて、初めて田舎から出てきて大学に入ったときに感じていた違和感と同じでそういう人間だということは変えようがないのだなあと思って、若さに憧れることもなく春のわくわく感は今もほど遠いところにいて、ひとりで部屋に引きこもって音楽を聴いて過ごしたりしているのだった。駅前の公園に咲いていたチューリップは一週間経ったらほとんどはパンツを脱がされたみたいに花びらが散っていて、でも緑の葉っぱや茎やめしべは元気が良さそうでちょっと恥ずかしいものを見てしまったような気分になるのだった。おもしろい絵の展示を見たり歌を聴いてきた。わかってもらえるさのカバーを聴いてなんだかちょっと明るい気持ちを思い出させてもらった。